よろずネタでダラダラと話しています。よく話題が脱線しますが、宜しければお付き合い下さいませ。BL・NL混在しますのでご注意願います。
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レンアイというもの・感情というもの
2010年08月31日 (火) | 編集 |
漢字で書くと堅苦しいのであえてカタカナ表記で。「恋愛というもの」ってなんだろう?とここ数日思うわけです。多分暴君7章第2話掲載の、GUSH10月号の発売が迫ってきているからでしょうね。

私自身としては、大いに修羅場を繰り広げて頂いて結構なのですが(それくらいしないと山場には物足りなさ過ぎる)、森永くんが過去に愛した相手、真崎さんの登場は、多くの暴君ファンの皆様の不安を掻き立てているようです。当然といえば当然でしょうが…昔の恋人の登場ですし。嫌いになって別れたのではなく、仲を引き裂かれて終わりに出来ていない、「ちゃんと別れる事が未だに出来ていない恋人」同士だともいえます。

本人達(つまり森永くんと真崎さんですね)にしてみれば、お互いに過去の清算をするだけのつもりかもしれませんが、真崎さんの置かれた立場がどうであるのか、第1話を読んだ限りでは全然分からない。そこが更なる不安を煽るのだと思うのです。

真崎さんが森永くんに過去のあやまちを認めて謝り、復縁を請う可能性もゼロではないんですね。だからといって真崎さんが自分勝手だとかは思いません。彼自身は自分の感情を相手にぶつけている訳ですから。そういう意味では、不器用な程に誠実な人なんだと思います。
行いの問題ではなく、恋愛というものに対する態度が真摯で誠実。だからこそ、過去の悲劇も生まれたのでしょうし、今でも苦しみながら生きているのでしょう。

作品のタイトルでもあり、主人公のひとりでもある宗一兄さんは、そういう意味では完全に「逃げている」ので、真崎さんを詰る資格は無いと思うのです。
…というよりも、誰も真崎さんを咎め詰る事は出来ないでしょう。
宗一兄さんの言動を、誰も責めて咎めて詰ったりする事が全くないのと同じように。

恋愛というものは、個々人のエゴが剥き出しになる、ある意味非常に相手の汚い部分すらも見えてしまう(一目惚れの甘ったるい時期はそれが見えないらしいです)ものでもあり、そこを乗り越える事が出来ると、愛を育む事が出来るのだとか何とか。
スタンダールの「恋愛論」に、恋愛の段階について、非常にフランスの作家らしい表現で書かれていますが(赤と黒とか読んでいると何となく分かるような分からんような)、大雑把に捉えても、それは日本人においてもあながち外れてはいない気がするのです。…というのは、モラルや性に対する考え方等、思考の面に関しては、お国柄というものがありますので、全ての国や全ての人々に必ずしも当てはまるわけでは無いからなんです。

話が逸れましたが、宗一兄さんと真崎さんが出会ってしまった時。どちらもどちらを責める資格は無いと思うのです。
宗一兄さんにしてみれば、真崎さんという人は、自分が今無意識に恋焦がれている相手(森永くん)を過去に手酷く傷付けた人間で許せないと思う反面、取られてしまうのではないかという不安を掻き立てる人間でしょうし。
でも反対に、真崎さんにしてみれば、今の状況(つまり森永くんと宗一兄さんの関係)は、過去に大事にしてやりたかった(でも出来なかった)森永くんをどこまでも翻弄する、挙句には曖昧な態度で傷つけているようにも見えるかもしれず、それを知った真崎さんは宗一兄さんを許せないと思うでしょうし、出来る事ならば森永くんを引き摺ってでも連れて帰りたいと思っているかもしれません。
つまり、おそらく互いに相容れない存在だと思うのです。でもどちらが悪いという訳でもなく、恋愛においてはエゴ(両者共にエゴ剥き出しですので)は、決して第三者が責めるものではないと思うのです。
仮に仲裁が必要な時というのは、傍目から見て、明らかに犯罪の臭いがする時(つまり暴力や金銭が絡む時)であって、でもそれすらも、本人たちからしてみれば余計なお世話かもしれない、非常にデリケートな問題なのだと思うのです。
犯罪は許されないので、恋に騙されていても、そういう場合は意地でも引き剥がして頭を冷やさせる必要があるとは思いますが。その上でまだ「騙されたい」と思うのなら、その時初めて自己責任という名目の下で、放っておけばいいのではないでしょうか。

恋愛話において、誰が悪くて誰は全く悪くない、というのはあり得ないと思うのです。
エゴの無い、純粋な見返りを求めない愛情を注ぐというのであれば話は別ですが、大抵の恋愛の場合、相手に何らかの見返りを求めますし、そうである以上、誰が悪い悪くないというより、極論を言えば全員悪い、という事になるのではないでしょうか。

体からでもいいから引き摺り込んで愛して欲しいと思うエゴ。
体で引き留めてでも、理不尽にも傍に置いておきたいと思うエゴ。
恋焦がれる人ではないけれど、その代わりに愛せるのではないかと思うエゴ。
自分が本当に求められていないと薄々感じながらも、相手が好きだから拒まないエゴ。
…皆同じエゴです。そして誰にもそれを責める資格なんてないと思うのです。もし責める事が出来るのであれば、恋愛を一切しない(一生涯無縁であると誓える)人くらいでしょうか。でもそういう人でも、何かの拍子に足元を掬われる形で、恋に落ちて目が眩んでしまったりするんです。
人間の感情は、自分自身ですら簡単にコントロール出来るものではないからこそ、起こり得る話かもしれません。でもそちらの方が面白い。自身の感情を完全にコントロールした時、それはその人から「人間味」というものが喪われる瞬間だと思えるのです。
感情があって、それを表に出して伝えて。それだからこそ人間であり、愛しいものなのだと思えるのです。

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